言語が違えば、文法が違うのは当然だ」という人は、そもそも文法学というものが何のためにあるのかを忘れている。
文法学とは、ある国民言語(language)の使用(統辞)の法則性を明瞭に抽象し、それを法則の体系に置き換えることによって、その国語の使用(統辞)の規範(正しい使い方)を定めるものである。
そして、その法則の体系は、外国人(その言語が外国語である人々)にとっても、合理的に自然に理解できる理論、すなわち、世界共通の地盤を持つ、学問(science)でなければならないのである。
その国独自で発達した独特の表現法というものがたくさんあるのは仕方がないとしても、その国独自の文法学というものはあってはならない。
その国の人間にしか理解できないような国語理論は疑われなければならない。
外側に開かれていないものは理論でも学問でもない。
だから、私は、18世紀まで、ヨーロッパ共通の知識人言語であったラテン文法学にまで英文法(各ヨーロッパ語文法)を戻して、それと、日本語の統一的観察をすべきだとずっと考えて来た。
そこで次に私なりに、英文法(英語学習)の全体像なる初級者用ゲレンデsvoc第五文型の山仮定法の山あるいは英語勉強のスキーの山の図をきわめて分かりやすく、最単純化モデルに仕立てるとしたら、上のような絵になる。
それは、「英語勉強のスキーの山の図」と呼んでもよい。
このように、英語の勉強には、2つの頂上(トウィン・ピークス)があり、手前の中級コースのピーク(山頂)が「SvOC第五文型の山」である。
そこをさらに険しい方へ滑り降りる途中で、節(文と文の3種類のつながり方の研究)をやらなければならない。
そこで、これから、この「3種類の節」について説明する。
まずここにl think that she is fine 「私は彼女は元気だと思う」という基本的な文を考えよう。
ここに、that節(thatclause)がある。
この接続詞thatからあとの、〔that she isfine〕の部分が、ひとまとめで、カタマリと考えることができ、これを「名詞節」(noun clause, ナウン・クローズ)と呼ぶ。
このthatで文の前後が、ガチャンとつながるから、thatは接続詞(conjunction)なのであり、このthatというconnecting word (コネクティング・ワード。
連結するためのコトバ)によって前後でつながり、ひとつの大きな英文(sentence,センテンス)としての、複(合)文になっていることが分かる。
このように短い文が前後につながって、複合化すること。
このことを「節」(clause,クローズ)というのである。
節clauseとは何だろうか。
と私は読者の皆さんに問う。
すると、ほとんどの人は、「えーと。
SとVがあって…」と、後ろの方が「…」となる。
この「…」は、コトバにして定義しきれないものだから、わけが分からなくなって、困り果てたために生じるのである。
そこで、では、「節」という専門用語以前に、文(sentence)とは何ですか、と問おう。
すると、またしても「えーと。
文とは、SとVがあって…」となるのである。
この「…」(テンテンテン)となるところまで、先ほどの「節」とまったく同じである。
これが日本人の英語学(もっと大きくは言語学)の修得レベルなのである。
「文」と「節」は、ではどう違うのか。
私がはっきりと、定義してみせよう。
文(sentence)とは、「主語(S)と動語(V)とその他の要素部分からなる語(word)の集合体であり、ひとまとまりの意味を形成する基本的表現単位」のことである。
なーんだ、くだらねえ、そんなこと分かってたと言うのは、まだ早い。
では「節」(clause)とは何か。
「節」とは「ひとつの大きな文である複合文の中の、部分文のことである」。
この「節=部分文」という明瞭なコトバによる定義は、日本では、私によって、6年前に、初めてなされたものである。
このように節を、「大きな文の中の小さな文」、すなわち「部分文」(これをひとつのカタマリと考えてもよい)と定義づける以外の定義があったら言ってほしい。
私が作ったこの「節とは部分文のことである」の他に、「節」を日本語で表す定義づけは考えられない。
節は、部分「文」なのだ。
だから節にもsとvが必ずあるし、なければならないのである。
この私の定義(すなわち、学問)に異議のある人はどうぞ反論してほしい。
そこで、先ほどのthat節が、l think 〔that she is fine〕。のように、that以下(実は、このthatを前後どちらに含ませるかで議論あり)が、カタマリとなり名詞節となるのである。
同じく前の方でやったl hear him =I hear 〔whathesays〕。「私には、彼の言うことが聞こえる」のこのwhat以下や、l will ask her 〔if he comes〕。「私は彼が来るかどうか彼女に尋ねよう」のif以下なども同じく〔〕でくくられて、カタマリ化して、ひとまとまりで名詞のような働きをするので名詞節と呼ばれるのである。
「節」の2つ目は、日本人なら誰でも知っている関係代名詞に関係している。
たとえば、中学校2年生で習うI love the girl who loves my friend「私は、私の友人を愛している女の子を愛している」や、This is the house which my uncle lives in「これは、私の叔父さんが住んでいる家です」におけるwhoやwhichなどの関係代名詞(relativepronoun,レラティヴ・プロウナウン)によって文が前後につながっている。
あるいは、大きな長い文全体の中に、(which……)の形で挟み込まれるようになっている場合も多い。
これらの関係代名詞は、その直前の名詞を、「先行詞」(antecedent,アンテシーデン)として取り、この名詞のあとに(who……)の部分として、「ひっかかってゆく」「修飾する」「形容する」「限定している」と考えられている。
このwhoやwhichからあとの()でくくられる部分こそは、だから「形容詞節」と呼ばれる節なのである。
したがって、そ札以前の前の方の部分文が主節(mainclause,メイン・クローズ)ということになる。
ただし、この場合もI think that‥‥‥。と同じく、この主節(主人公の節)の方が、偉いとか重要だとか、主要だ、ということではない。
あくまで、どっちがどっちにどのような形で、引っかかうているか(これを英語では、modifyモディファイと総称する)、ということなのである。
この形容詞節の場合は、関係代名詞という「(前後に文を)関係(させている)代名詞」というコトバを使って、文と文をつなぐのである。
私たちはふつう英文を読んでいると、すぐに、「この英文中の、このwhichやthatやwhatは関係代名詞だから…」と関係代名詞という単語にばかり気をとられるが、そのような近視眼をやめて、これからは、「このwhichによって導かれる形容詞節の部分は…」という言い方をすべきである。
